2023年8月16日水曜日

才一巧亦不二

小学生のとき終業式が終わってお袋によく連れてきてもらった、実に60年ぶりの #不二家レストラン。通信簿の成績によりプラモデルか不二家か、またその両方かで、 #海老フライ 率はかなり高かった。ただ長ずるにおよんで成績は下降線をたどったため #海老フライでタイ は釣れず、 #芥川龍之介 がいう「 #子供の時に悧巧でも大人になつて馬鹿」( #才一巧亦不二 さいのいっこうなるもまたにならず)に。でも #ハマっ子 の洋食といえばココ、二つとないからやはりフジヤだ(もとは創業者の #藤井林右衛門 からという)。 #アントニン_レーモンド 設計のガラス作りの外観とは一時お別れになるが、 #新不二家横浜センタービル にどうこの雰囲気が引き継がれるか期待しよう。Likes:220 Comments:20 Share:2
 

 きょうのエサはハンバーグステーキ、海老フライ、ケーキなどの人気メニューを組み合わせた「お客様感謝セットメニュー」(2,280円)、正直「大人のお子様ランチ」(1,980円)でよかったとも思う。facebookで実に多くの人とコメントがあり、やりとりをしていて創業のときの写真の謎が-浮かび上がった。
 
 不二家の社史に「藤井林右衛門(25歳)が横浜市元町2丁目86番地に洋菓子店(元町店)を開店」とあり、現在の喜久家(石橋豊吉が1924年開業)がある場所だが、写真で見るとどうもその看板は対面にあるように見える。そこでよこはま路上観察学会の師匠河北直治氏に確認したら、「1918年の商工名鑑によると89番地で、86番の反対側を示している」とのこと。  こういう研究家が身近にいてもらって本当にありがたい。
 

 20人もの人からコメントをもらって思うこと…不二家の内部のことをみんなよく覚えているし、不二家だけでなく伊勢佐木町の有隣堂や博雅やルノー・タクシーのことまで思い出を書いてくれている。1955〜1973年、日本の高度経済成長期がちょうど小中高時代だった私だが、パフェや焼売や家電や車などいろいろ便利で豊かなものを手に入れた代わりに、なにかを置き忘れてきている気もする。アルツになる前、こういうことをきっかけに少しでも思い出すよう心がけたいものだ。