会社で同期の諏訪圭司君とお別れした横浜市南部斎場の上空… 喪主の兄上や、高校で3年間クラス替えがなく濃密に親交を深めたという彼の同級生たちと、きのうの通夜からきょうの火葬場まで、じっくり昔話を聞きながら弔うことができた。それでも、わがままな私の場合は以前から言っている「葬式無用戒名不用」でお願いしたい。
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司馬遼太郎は「ひじょうに古い形の神道…というものが、いまだにわれわれのなかにあるのじゃないか。一つの神道的な空間というものが日本人にあって、その上に仏教がやってきたり、儒教がやってきたりするけれども、神道的な空間だけは揺るがないという感じじゃないでしょうか」と言う。私も「生まれたときは神道、結婚は神道かキリスト教、死ぬときは仏教」といういい加減さより、司馬さんの考えに近い。藤原新也が沖ノ島で「原始の森を貫く参道は、陽がさえぎられ、ひんやりとした空気に包まれている。人によっては『神気』と感じるかも知れない」と書いているような、大自然を畏怖する原始的な宗教観くらいは私にもあるからだ。(下記は朝日新聞17年7月18日付夕刊)