2014年10月25日土曜日

ヒロシマ 爆心地の原子力平和利用博覧会

NHK広島放送局の方から聞いていた「ヒロシマ 爆心地の原子力平和利用博覧会」を録画でやっと観た。実は私もちょうど呉に住んでいた1956年の話だ。5月27日からの22日間、原爆の恐ろしさを伝える資料を館の外に出してまで強行した博覧会。中国新聞は主催者として核の平和利用宣伝の後押しもしたが、偶然にも私の5歳の誕生日6月7日の夕刊では 「ドレイの手と現代戦」というコラムを書いて冷静に報じている。博覧会で人気だった放射性物質を扱うマジック・ハンド(ドレイの手とも言われた)は、核兵器をつくるときも原子炉をつくるときも使われるが、はたして機械や物質を完全にドレイ化しているかと、55年後にわれわれが直面する問題を予見していた。ネット上にテキスト化されてないようなので画面から書き起こした。ぜひ一読願いたい。
(写真は5歳のとき呉市で)facebook|Likes:75  Comments:20
当時、広島アメリカ文化センター館長だったアボル・ファズル・フツイの手記は、中国新聞のコラム「時評」を紹介して終わっている。
「ドレイの手と現代戦」(1956年6月7日中国新聞夕刊)
 広島原子力平和利用博覧会でマジック・ハンド(魔法の手)という機械が人気を集めている。作業者が手を動かすと、放射線の害を防ぐための厚い防護ガラスの窓ごしに特殊鋼製の細いテープ十本ばかりが神経の役目をして、手の動きを向こう側のカニのはさみのような形の両手に伝え、強い放射線をもつ危険な同位元素を入れた容器のフタを開けて中身を取り出したり、いろいろこまかい工作を人間の手とほとんど変わりがないくらいにやってのける。一種の遠隔操作機だから、こちら側の安全地帯で作業員の手に握られる部分をマスター・ハンド(主人の手)向いの危険地帯で作業員の手の動きをそのままに動く部分をスレイヴ・ハンド(ドレイの手)という。
 このドレイの手の動きを見ていると、さまざまなことが思い浮かぶ。広島に落とされた原爆の組立もこのようなドレイの手が使われたことだろう。いま米・ソが公然とまたは秘密にやっている水爆実験にもこのようなドレイの手がたくさん使われていることだろう。放射性物質遠隔操作の機械は大小種々あるが、このマジック・ハンドはその代表的な型の一つだから、ソ連にもほとんどこれと同じ型のものがあるに違いない。ドレイの手は、日本で実験用原子炉をつくるときも必要だし、その原子炉で医学や農学や産業用の放射性同位元素をつくり出すときもこれが必要である。
 ドレイの手とはいかにもよく名付けた。ドレイの手自身は心をもたないから、主人の手の命ずるままに原・水爆もつくれば、放射性物質の平和利用の諸工作もする。ふしぎなこ とにこのように完全なドレイの手でつくられた原爆や水爆が一度爆発すると人類の頭上に君臨し、人間の死をまきちらし、放射能雨や死の灰で地球を押し包んで、主人であるはずの人間どもを恐怖のどん底につき落とすことである。人間は機械や物質を駆使し、それに対してほこらしくも”ドレイの手”と名付けたが、人間ははたして機械や物質を完全にドレイ化にしているだろうか。
 昔の戦争では直接に戦う者だけが殺傷され、非戦闘員と呼ばれる庶民大衆や女子供はときに流れ弾やとばっちりを受けることはあってもその数は限られていた。これからの原・水爆戦では、どう考えても、戦う者自身よりも多数の庶民大衆、女子供が殺傷され、そのうえ放射能の遺伝的悪影響で人類の末代までも奇形児が生まれたりする公算が大きい。
 なんどもいうことだ、原・水爆で殺さねばならぬほどの大悪人はこの世にはいない。原・水爆が公然とねらう目標は対立する社会の政治軍事機構の破壊であり、その”とばっちり”が庶民、大衆である。自分たちの権力欲に目がくらんでこれほど世界の庶民、大衆の生活を無視した凶悪な戦略手段はないということを、原・水爆をもつ国の政治家や軍需産業指導者や軍人はよくよく肝に銘じて考えるべきだ。天につばきするものこそ罰を受ける。

中国新聞 ヒロシマ平和メディアセンターでの紹介はこちら
http://www.hiroshimapeacemedia.jp/mediacenter/article.php?story=20110713105823604_ja