2013年5月28日火曜日

Take Notes 横浜市中区北仲通6丁目66番地

横浜オープンデータソリューション発展委員会が6月8、9日の「開港祭」にあわせて、ARアプリを使った「オープンデータによるみなとみらいAR歴史体験ツアー」の開催告知に、横浜市市史資料室の写真を使用していたので、この写真にまつわるメモをきのうに引き続き、冷吟閑酔にTake Notes。
なにより嬉しかったのは、小中高生時代の12年間を過ごした北仲通6丁目の旧日本海員会館が写っていたことだ。船乗りだった父親が全日本海員組合京浜地方支部勤務となり、管理人と職員の2世帯が社宅のような形で住むことができたビルだ。1936年完成の4階建てで、組合事務所のほか、3・4階が吹き抜けの数百人キャパの講堂まであり、周りは当時からビル街という環境。3DKほどの住める空間が4階にあったが、高校生にもなると完全に独立した部屋がほしくな り、講堂の映写室の一部を改造して使わせてもらった(実は映画より25年前に濱マイクしていたのだ)。そしてどうやらその頃から自分の部屋を自らの手でカスタマイズすることにこだわっていて、きっとこれは死ぬまで続くのだろうと、シーシュポスな生活をしている最近、確信にいたっている。

そんな極めて特殊な環境であった北仲通だが、いまやこの北仲通南地区に横浜市庁舎を建てる準備が着々と進められている。「広報よこはま」6月号 には3月に策定した基本構想の要約が掲載され、今年度には基本計画をまとめるとしている。この必要性の有無や懸念される関内中心部の空洞化について、さら に森ビルと丸紅が開発を進める北仲通北地区については別途整理しよう。

その「オープンデータによるみなとみらいAR歴史体験ツアー」の告知写真だが、主催者の東京都市大学上野直樹教授によると横浜市市史資料室の データでは1934年(昭和9年)という。では、なぜ1936年(昭和11年)の建物が写っているのか。きょうは俄然この旧日本海員会館につい て”Take Notes”したくなったという次第。日本近代建築総覧に「建築名=日本海員会館、建築年=S11(1936年)、構造=RC4、施工=本田組(神戸)」 とあるようだが、現物で確認していないし、市史資料室の確認もしていない。どちらかが記載ミスをしている可能性がある。いずれにせよ、新築のビルであったことは写真からもわかり、華やかな竣工祝賀会があの講堂で開かれたことは想像に難くない。そして驚くべきは元第一銀行横浜支店(旧横浜銀行本店別館)の竣工はそのわずか7年前ということだ。

さて、34年か36年か問題にぶち当たると、ビルのあった場所はみなとみらい線馬車道駅の2番出口の目の前で、みなとみらい大通のど真ん中になることは現場で目測しているものの、地図で正確に割り出してはいないので急に不安になった。手許にある国土地理院の米軍撮影の空中写真(1947年)は 個人でもサイト利用NGだし、あしたは横浜大空襲でもあるので、国交省の国土情報ウェブマッピングシステムで1977年の写真を探し出して、位置を特定して間違いないことを確認することにした。同サイトのサービスは出所を明示すればかなり自由に使える。一枚の写真から便利なものを見つけることができた。多謝。facebook|Likes:58 Comments:2
http://nrb-www.mlit.go.jp/webmapc/mapmain.html

左の空中写真を現在の地図に重ね合わせて位置を確認し、三角地帯を切り取って現在の地図に貼りつけた
元第一銀行横浜支店(旧横浜銀行本店別館)は1994年8月からの曳屋工事で合計170m移動した
(旧日本海員会館はその前に解体されている)