2020年11月9日月曜日

関内唯一の坂・衣紋坂

 #ホッチポッチミュージックフェスティバル を日曜日 #横浜公園 で開催したが、すぐ横のみなと大通りに #衣紋坂 といわれた坂があったのを思い出した。確かに砂洲になっていた本町通あたりから今でも1mほど低く、現横浜公園の #港崎遊郭 がさらに低かったとは言え、これを坂とするにはかなり無理がある。どうも新吉原の遊客が入口の大門に向かうときに身なりを整えたという衣紋坂を真似たようだ。車線を減少させてその分歩道を広げ、使えるスペースを増やし、歩きやすい町づくりをしようという社会実験「 #みっけるみなぶん 」が月曜日から始まるようで、すでに車線規制やデッキができていた。日本大通りや馬車道、元町の道をつくり出した都市デザインが横浜のお家芸だそうだが、今度は各地が横浜を真似るようになってほしい。 Likes:145 Comments:7

コメント欄で「左の横浜本町并ニ港崎町細見全図(1860年)は、斜めからの落差があることがよくわかる。右の御開港横浜正景(1864年)では衣紋坂の下が吉原道におりる階段状になっているように描かれていて、この図は町会所の位置が少しずれていて気になる」と書いたら、横浜の歴史の大家で先輩の斎藤多喜夫さんから「階段状のものは橋だと思います。町会所は当初現在の開港記念会館の向かいにあったので、これでいいんじゃないでしょうか」とのこと。7年前の広報よこはま中区版に紹介されていて少し調べたときから気になっていたことが解決した。